二十七歳の地図

日記・詩・小説をつらつらと書き綴っています

2016/6/7(火)

 今日も我らが広島カープは勝った。よかったよかった(ちなみに今日たまたま新井Tシャツ来てテレビ観戦してたら、新井さんホームラン打ってびっくり!)。

 しかしそんなこととはまったく無関係に、いま俺は猛烈に死にたいのだ。

 今夜は向精神薬をこれまでの2~3倍飲んでみたり、裸で尾崎豊熱唱してみたり、大音量で電子ピアノ弾いたりしてる。もちろんアルコールも入ってる。さいきんは酎ハイや発泡酒ハイボールではなく、リキュール系をストレートでラッパ飲みしてる。それでもあんまり酔わないんだよなあ。誰かと飲むとすぐ酔うのに、まったく不思議なことである。

 

 俺はずいぶん自由な生活を送ってるように見えて、実は毎日なにかしらイレギュラーなイベントが発生する。それがなにか具体的には言えないが、とにかく常人の数倍の浮き沈みを繰り返しながら日々生きている。くそーLSDとかやってみてえなあ。ドラッグやって音楽つくったり小説書いたり美術作品つくったりしてる連中ってたくさんいるよな(世界的には)。日本は大麻も禁止か…まじでデパスみたいな向精神薬しかねえからな。強度がまったく違うよ強度が。

 

 あーまだ5月公開で見たい映画が3本残ってる。早く観に行かないとなあ。6月も豊作だし、ちゃんとスケジュール組んで見ていけばいいんだろうけど。でもこんなに毎日のように映画見て何になるというのだろうか。

 俺は日本もイヤだアメリカもヨーロッパもイヤだ地球もイヤだ太陽系もイヤだ、エッジワース・カイパーベルトから外の宇宙だけはいい。あの宇宙に意識を飛ばしたい。日常の義務から解き放たれた精神を獲得したい。

 義務か…はたして義務とはなんだろうか。それはやらなくてはならないものなのだろうか。納税・勤労・教育はやらなければどうなる?この国の社会システムではいちおう生活保護というセーフティネットがある。国に生活を保護してもらう(ようはカネ)くらいなら死んだほうがマシだ。

 

 俺の最も好きな映画『タクシードライバー』のトラヴィスのように最後は死にたい(彼は結局死ななかったけれど)。

 You talkin' to me?

 You talkin' to me?

 何度鏡の前で真似したことか。退役軍人で精神おかしくなっちまった人間の末路は美しい。少なくとも俺はそう思う。自殺だろうが犯罪だろうが親殺しだろうが、この世界に対する反逆の意思を懸命に示そうとしているから。自分の手触りや確からしさを確認しようとしているから。

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 もう26年も人間の中にいるのに人間のことがさっぱりわからん。つまらない知識ばかりが蓄積されていく。役に立つか立たないかなどどうでもいい。自分自身に情熱がないことが最大の問題なんだ。もうなにかに情熱を注げるほど純粋ではないし、すっかり大人になっちまった。

 

 明日、来月、来年と続く世界だけど、俺はしかるべきタイミングでひっそりと退場するよ。死の向こう側へ、意識とは違ったなにかを求めて。

 

2016/6/6(月)

 福岡市内は曇り。俺の気分も今日はちょっと抑うつ的。

 朝方、少し出かけたけど、足早に歩く人たちの存在が軽くふわっとしたモノに思えて、現実世界の底が抜けているような感覚に陥る。自分自身もそうで、自分という個人が世界に存在しているというこの圧倒的な事実にいまさらビビる。

 存在…存在…存在とはなにか…?

 いちおうハイデガーとか読んでんだけどなー。存在するという根源的な問いがいまさらのしかかってきているような感じだ。

 

 ずいぶん長いこと、このブログも放置していた。でも消そうとは思わなかった。ごくたま~に過去のエントリーをチラ見したりしてたけど、驚くほど考えは変わってないしカッコつけて詩的な文章書いたりしてて率直に痛いなこいつと思った。数年前はまだ尾崎豊の影響受けすぎてたからなあ。

 

 俺もいよいよ26歳になってしまった。尾崎豊が逝去した年齢だ。尾崎は永遠に26歳のままだが、俺は快調に27、28、そして30歳になっていくのだろうか。まあ当然のように年を取り、若き時分の自由奔放さを肴に酒を呑んだりする中年になるのだろう。それもまったく悪くない。

 

 尾崎豊の最大のメッセージは”強く生かなければならない”ということ。尾崎は幼少期から空手をやっていて、徹底して勝負の人だった。死の間際に発した言葉も”勝てるかな?”という言葉だったらしい。代表曲である『僕が僕であるために』のサビは次のとおりだ。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

正しいものがなんなのか

それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて

少し心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる

 矢沢永吉も言ってたな。小学生の時、給食センターの裏で食べ物もらってる貧乏な子どもたちを見て「まるで乞食じゃないか」と感じて、こりゃ這い上がるしかねえな!と決意したらしい。

 

 社会には強い競争原理が働いている。ここまで科学技術や情報システムが発展したのも競争社会を続けてきたからだ。人類は競争(資本主義)を当分やめられないだろう。競争はヒトの欲望であり、競争に勝つということは、手っ取り早く全面的に存在の肯定される。

 俺はいまこの肯定も否定もされない存在の浮遊感に耐え難い嫌悪を感じている。恋人や親友がいれば存在が承認されるのか?仕事をしてれば社会の一員か?子どもを持てば生きる意味になるか?

 いま一度”存在とはなにか”を考えないと先へ進めない。気がついたら手にしていたこの意識、いつの間にか親を親と認識して言うことに従っていた。死ぬときはこの意識を手放すだけだ。そもそもこの意識は借り物なんだ。自分という個体は借り物の意識。主役はやはりDNAとか遺伝子なのかもしれない。そう考えると意識なんてものにあまり固執することもないのかもしれない。

 

 いやほんと間違っててもなんでもいいから、俺はとにかく納得したいのだ。

2015/11/19

 久しぶりの日記だ。

 

 劇的な1日なんてのはあるわけもなく、指の隙間からこぼれ落ちるように日々が過ぎ去っていく。なんかさっきまで小説を書いていたせいで、文学的表現を使おうという意志が働いてしまう。ここはふんわりと書かなければ。

 

 いくつかの短編を書こうとしたが、なかなか手が進まず、やむを得ず一旦中断することにした。アイデアはメモっていてたくさんあるけど、どれもイマイチ作品として落としこむことができない。忍耐力の問題かもしれないが、すぐ別の関心事に目移りしてしまう。

 

 そこで今回から締め切りを設定することにした。守らなくてもなんらペナルティはないのだが、精神的くさびとして書くという行為をブーストさせてもらえないかと期待している。

 

 けっきょく俺にできることは、精一杯の想像力を駆使して物語を紡ぐことなのだと思う。いまは小説という形式でやっているけど、今後どうなっていくかはわからない。少しでも俺に期待なり興味なりを抱いてくれてる人がいるとすれば、俺はその人たちのために生きて、これからも少しずつ物語を書いていけたらいいなと思います。

 

生活ルール

『生活ルール』

  1. 夜寝て朝起きること
  2. きちんと食事を摂ること
  3. 映画やアニメを観過ぎないこと
  4. 宇宙や哲学について考え過ぎないこと
  5. 薬を飲むこと
  6. なるべく外に出ること
  7. 重要な連絡にはなるべく早く返信すること

 

 なんだか小学生みたいだが、日常生活はしっかり送らなくては。

まあ鬱になるときはなるので、あまり深く考えずにこの脳と付き合っていくほかない。

小説や音楽もゆるやかに続けていけたらそれで良し。

俺に良くしてくれる人たちのためになるべく迷惑をかけず誠実に、かといって自分を縛ることもせず、風に吹かれるままに生きていこう。

2015/10/18

おれはまだ何者かになれるだろうか

将来というものがあるのならば、おれの将来はいまこの瞬間じゃなかったか

生きる意味を問うのは人間だけだろうか

地を這う虫や鮮やかな草花は生きる意味を探すだろうか

ときどき、自分がヒトの形をした違うなにかであるように思える

人間に生まれてよかったことが何か一つでもあっただろうか

俺のこのイカれちまった頭ではなにも解決できない

どこにいっても人間がいやがる

まるではめこまれたピースのようにピッタリとおさまっている

みなさん、夢は叶いましたか?

やりたいことがやれていますか?

ひとときの幸福だった瞬間を抱いて、針でつつかれるような日々の痛みに耐えている

本当はなにをやってもよくて、はじめから自由だったはず

自由はしっかりと手に持って生まれてきたはず

自由に生きることを許さなくなった自分自身に反吐が出る

明日はなにをして過ごそうか

Am I wrong?

Oh Jesus Christ

茫漠とした現実がのしかかる

Oh Jesus Christ

祈りの儚さを思い知る日々

Oh Jesus Christ

あの頃見てた世界は消え失せ

Oh Jesus Christ

無力に喘ぐ気力もない

 

世界は十分に残酷じゃなかった

俺は希望を抱いてしまった

這い上がった先にはなにもない

認識が世界を創っては壊す

すべての真実は俺のもとに

2015/10/16

 今日は通院日だったが、外に出れず結局行けなかっな。

 さいきん外に出るには薬が必須だし、家で小説書くにはアルコールが欠かせない。
俺の身体はインチキだらけで、ほんとうのものなどありはしない。
毎日毎日人格と感受性が変わるので、かなりシンドい。これはなんの症状なんだろ。
主治医にすべてを話せない俺の問題なんだけど、なんか本気で心療内科に通って薬でまともになる、って思えないんよね。すべてが気休めですべてが誤魔化しの精神医療。
だから精神障害者は健常者になろうとするのは諦めて、キチガイとしての創作活動をやるべきだ。ていうかもうそれしかないぞ、キチガイが生きていくには。作家や芸術家や音楽家ならむしろキチガイが魅力になる。
 
 だいたいまじめに働いてる人たちが健常者か?おれには自我のない働きアリが女王の命令で列作って歩いてるようにしか見えんぞ。
 
 時代によって健常者と障害者の定義は変わる。
 俺はこの時代に障害者でもやるべきことはたくさんあるし、むしろ才能がある人間が多いということを伝えたい。生きていることに不満や葛藤があるから表現する。なんの不満のないやつにできるのはマニュアル仕事だけなんだよ。だから会社に就職する。
 
 俺はロボットじゃないから、自分にしかできんことをやるぞ。それが創作というものだ。他人の創作物を消費するだけでなく、自分でも創作してみる。がんばりましょうキチガイ諸君!