二十七歳の地図

日記・詩・小説をつらつらと書き綴っています

2015/10/11

前日の記憶、とくに書いた文章の記憶がない。

ツイッターやLINEのやりとり、小説の内容さえ、誰がこんな風に書いたんだと驚きを禁じ得ない。

やはり薬と酒のせいだろうか? でも薬も全然問題ない量(ちゃんとヤバイ量はわかってる)だし、酒も酔ってきたら吐きたくないからそれ以上飲まないし。

ちなみに、さいきんは梅酒をサイダーやオレンジジュースで割って飲むのが好き。美味しいし、そこまで酔わない気もする。

 

小説のほうは、書いてる時は寝食忘れて夢中になるけど、これで完成!という形にまでもっていくのが難しい。というのも、次の日に再読すると違和感ばかり覚えて際限なく修正してしまうからだ。

いまも、いくつかの作品を並行して書いてるけど、まだどれも満足した出来まで到達できていない。というか到達する自信がない。誰かに読んでもらうなんて論外で、自分で読みなおすのさえ恥ずかしいときもある。要は気分によって感受性が変化するので、ひとつの作品を作り上げることが出来ない。昨日すばらしいのが書けた!と思っても、次の日には、なんであんな恥ずかしい文章書いたんだろう…と自己反省する。

小説家だけでなく、様々なプロのクリエーター達はどのように作品を完成させるのだろうか。なに明確な基準をもって完成とするのだろうか。締め切りとかあれば、否応なくそれがとりあえずのマイルストーンになるのかもしれないけど。

ただ生きるために書いてる俺みたいな人は、自分で作品を思い切って終わらせないといけない。いまはまだその決断力に欠けてるのだろう。少しずつでも作品を書いていくうちに、身体的に習得できるようなものなのかもしれない。

 

いずれにせよ、ここ数週間の自分を客観的に観察してみると、多重人格としか思えない行動が多く、作品の内容も修正の仕方も一貫性がなく、その瞬間の勢いだけで動いてる。一貫性というものにこだわりすぎるのも問題であるが、ひとりの人間の人格が分裂しているというのは、本人にはたいへんなストレスなのだ。俺の場合、いわゆる「多重人格者」にありがちな、スイッチを切り替えるように急に人格が切り替わるものではない。今日は雨だからとか良い映画を観たとか夢で死んだ人と会話できたとか、そういう精神的な要素で人格がモデレートに変化する。なにかの症状なのかもしれんが、俺はもうどう考えても健常者ではないので、どんな病名がついたところでなんの意味も動揺もない。

 

俺は毎日、今日もこの世界でどう生きていくかってことばかり考えてる。なので基本的に、他人になにかしてあげるということが出来ない。ただ、これから小説や詩を書いて、それを誰かが読んでなにか感じてくれたらって思ってたけど、人前に提出することも今はしたくない。これを書いてる午後22時時点に限っては。

だけどいつかは必ず見せたいと思ってる。俺が考えて俺が書いた俺だけの物語。俺にしか書け得なかった世界にひとつの物語。創作ってのは子どもの頃には誰もがやっていたものなのに、大人になると誰もやらなくなる。他人の創作物を鑑賞するだけになってしまう。

どうやら俺は創作しないと生きられない人種らしいとわかってきたので、なんらかの創作活動は辞めないと思う。やめたら死ぬときだから。

 

 ほんとに不安定で、言うことととやることが違うのはしょっちゅうだし、世話になった人には心配かけてばかりでなにも恩返しできてない。そういう人間なんだ俺は!って開き直ることもあるけど、やっぱり申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。

 

これから『アダムス・ファミリー』観て、余裕があったら小説書いて、またまた気分が良かったらメアド教えてくれた方々には原稿送ります。