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二十六歳の地図

日記・詩・小説をつらつらと書き綴っています

2016/6/6(月)

 福岡市内は曇り。俺の気分も今日はちょっと抑うつ的。

 朝方、少し出かけたけど、足早に歩く人たちの存在が軽くふわっとしたモノに思えて、現実世界の底が抜けているような感覚に陥る。自分自身もそうで、自分という個人が世界に存在しているというこの圧倒的な事実にいまさらビビる。

 存在…存在…存在とはなにか…?

 いちおうハイデガーとか読んでんだけどなー。存在するという根源的な問いがいまさらのしかかってきているような感じだ。

 

 ずいぶん長いこと、このブログも放置していた。でも消そうとは思わなかった。ごくたま~に過去のエントリーをチラ見したりしてたけど、驚くほど考えは変わってないしカッコつけて詩的な文章書いたりしてて率直に痛いなこいつと思った。数年前はまだ尾崎豊の影響受けすぎてたからなあ。

 

 俺もいよいよ26歳になってしまった。尾崎豊が逝去した年齢だ。尾崎は永遠に26歳のままだが、俺は快調に27、28、そして30歳になっていくのだろうか。まあ当然のように年を取り、若き時分の自由奔放さを肴に酒を呑んだりする中年になるのだろう。それもまったく悪くない。

 

 尾崎豊の最大のメッセージは”強く生かなければならない”ということ。尾崎は幼少期から空手をやっていて、徹底して勝負の人だった。死の間際に発した言葉も”勝てるかな?”という言葉だったらしい。代表曲である『僕が僕であるために』のサビは次のとおりだ。

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない

正しいものがなんなのか

それがこの胸に解るまで

僕は街にのまれて

少し心許しながら

この冷たい街の風に歌い続けてる

 矢沢永吉も言ってたな。小学生の時、給食センターの裏で食べ物もらってる貧乏な子どもたちを見て「まるで乞食じゃないか」と感じて、こりゃ這い上がるしかねえな!と決意したらしい。

 

 社会には強い競争原理が働いている。ここまで科学技術や情報システムが発展したのも競争社会を続けてきたからだ。人類は競争(資本主義)を当分やめられないだろう。競争はヒトの欲望であり、競争に勝つということは、手っ取り早く全面的に存在の肯定される。

 俺はいまこの肯定も否定もされない存在の浮遊感に耐え難い嫌悪を感じている。恋人や親友がいれば存在が承認されるのか?仕事をしてれば社会の一員か?子どもを持てば生きる意味になるか?

 いま一度”存在とはなにか”を考えないと先へ進めない。気がついたら手にしていたこの意識、いつの間にか親を親と認識して言うことに従っていた。死ぬときはこの意識を手放すだけだ。そもそもこの意識は借り物なんだ。自分という個体は借り物の意識。主役はやはりDNAとか遺伝子なのかもしれない。そう考えると意識なんてものにあまり固執することもないのかもしれない。

 

 いやほんと間違っててもなんでもいいから、俺はとにかく納得したいのだ。